八条上杉家(はちじょううえすぎけ)は、上杉氏の諸家のひとつ。二橋上杉氏とも。
二橋上杉家・上杉朝定の実子・(朝顕)を氏祖とする。室町時代には京都壬生に拠点を置き、室町幕府の足利将軍家に仕えた。越後国鵜川荘などを領していた。
戦国時代になると越後国に下り、(八条龍松)を上杉房能の養子とするなどして越後への政治的介入を強めたが、その過程で越後守護代長尾氏と対立するようになる。永正3年(1506年)に長尾能景が般若野の戦いで戦死し、跡を長尾為景が継ぐと、両者の対立は表面化し、越後永正の乱では(八条尾張守)・龍松父子や(八条成定)が自害に追い込まれるなどして、大きな打撃を受けた。
近年の研究では、戦国時代に現れる(琵琶島氏)は八条上杉氏とみられている。
歴代当主
- 庶子
- (八条能重)(伊予守)
- (八条房孝)(尾張守)
- (八条房繁)(近江守)
系譜
詳細は「(扇谷上杉家#系図)」を参照
関連項目
参考文献
- (谷合伸介) 「八条上杉氏・四条上杉氏の基礎的研究」 『(新潟史学)』第51号、2004年。
- (森田真一) 「越後守護家・八条家と白河荘」 『笹神村史 通史編』中世第四章第一節、笹神村、2004年。