生涯
生年や出自等は不明であるが毛利氏に仕え、天文18年(1549年)12月13日、毛利隆元から加冠状と「元」の偏諱を与えられて[1]、元直を名乗る。
天文20年(1551年)、隆元の弟・小早川隆景の(沼田小早川氏)相続に伴い、隆景の家臣となる。天文22年(1553年)、三原要害(三原城の元となった砦)在番を命じられた。
天正12年(1584年)5月18日、毛利輝元から「六郎右衛門尉」の官途名を与えられ[2]、慶長2年(1597年)に隆景が没すると、毛利氏家臣に編入された。
元和4年(1618年)2月28日に毛利秀就から(豊後守)の受領名を与えられ[3]、寛永4年(1627年)2月23日には周防国都濃郡須々万村の内の132石と長門国美祢郡秋吉村の内の68石の合計200石の知行地を嫡男の(元資)に譲ることを毛利秀就に認められた[4]。
没年は不明。嫡男の元資は後に苗字を「志賀」に改め、以後子孫は(志賀氏)を称することとなる。