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健御名方富命彦神別神社 (長野市箱清水)

健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ)は、長野県長野市長野にある神社。式内社名神大社論社で、旧社格県社

健御名方富命彦神別神社

正面
所在地 長野県長野市大字長野字本城東2411
位置 北緯36度39分41.54秒 東経138度11分31.71秒 / 北緯36.6615389度 東経138.1921417度 / 36.6615389; 138.1921417 (健御名方富命彦神別神社)座標: 北緯36度39分41.54秒 東経138度11分31.71秒 / 北緯36.6615389度 東経138.1921417度 / 36.6615389; 138.1921417 (健御名方富命彦神別神社)
主祭神 健御名方富命
社格 式内社名神大論社
県社
創建 不詳
本殿の様式 一間社流造
別名 城山県社・水内大社・彦神別神社
例祭 9月10日
(テンプレートを表示)

通称として「城山県社」「水内大社」「彦神別神社」とも。

概要

 
鳥居
額「健御名方富命彦神別神社」は有栖川宮幟仁親王の筆。

善光寺の東に隣接する城山公園の一角、横山城跡に鎮座する。もと善光寺本堂北側に「年神堂」としてあり善光寺の守護神であったが、明治初頭の神仏分離に伴い現在地に遷座した。

諏訪大社の祭神でもある健御名方富命(建御名方神)を祀っており、境内に御柱が建てられている。寅年申年には武井神社妻科神社湯福神社との持ち回りで御柱祭が行われる。

祭神

諏訪大社祭神に同じ。

歴史

創建は不詳。『延喜式神名帳』には名神大社として「信濃国水内郡 健御名方富命彦神別神社」の記載があり、当社はその論社とされている[1]。現在に至っても比定の決着はついていない(「健御名方富命彦神別神社」を参照)。

明治11年(1878年)までは善光寺境内にあり「年神堂(歳神堂)八幡宮」と称していた。延文元年(1356年)成立の『諏方大明神画詞』では、「年神堂が諏訪大社の分座であり持統天皇5年に記載のある水内神である」としている[2]。また、江戸時代末期の『芋井三宝記』には「年神堂八幡宮は、風祭等の存在からして御年神でなく健御名方富命彦神別神社であり、当地に善光寺如来が来たため仏式になって神名を失い、八幡宮とも誤り称されるようになった」と記している[3]。当地は科野国造金刺氏の居住地で水内郡の中心地と考えられ、善光寺の位置からは善光寺平が望めることから、古社の所在地としてふさわしいと考えられている[4]

明治12年(1879年1月明治天皇臨幸を契機として神仏分離により善光寺年神堂(歳神堂)を善光寺境内から現在地に遷座し、神名帳記載の「健御名方富命彦神別神社」に改称した。なお、当地に移ったのは祭神のみで、旧年神堂の本殿は守田迺神社に移築された。

境内

境内には様々な石碑が立つ。

摂末社

現地情報

所在地
交通アクセス
周辺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ そのほかの論社としては、長野市信州新町飯山市にそれぞれ同名神社がある。
  2. ^ 『諏方大明神画詞』抜粋「本国水内ノ郡善光寺別社ノ事、日本紀第卅ニハ持統天皇五年遣勅使祭諏方・水内神等ト見タリ、又延喜神祇式ニハ諏方郡南方刀美神社二座、水内郡健御名方田富彦神別神社ト云ヘリ、当社ノ分座疑ナシ、是則当郡善光寺郭内ノ当社ナリ」(『長野県の地名』健御名方富命彦神別神社項より)。
  3. ^ 『長野県の地名』健御名方富命彦神別神社項。
  4. ^ 『日本の神々』健御名方富命彦神別神社項。

参考文献

  • 『日本歴史地名体系 長野県の地名』(平凡社)長野市 健御名方富命彦神別神社項
  • 小林計一郎「健御名方富命彦神別神社」(谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃 飛騨 信濃』(白水社))
  • 「100 彦神別神社 〜諏訪神の分社など諸説が〜」(週刊長野)

関連項目

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