保坂 調司(ほさか ちょうじ、1920年11月24日[1] - )は、日本の射撃競技(ピストル射撃)選手。警視庁所属の警察官。1956年メルボルンオリンピックに出場、男子フリー・ピストルで4位入賞。アジア競技大会2大会に出場し金メダル3つを獲得している。
経歴
新潟県東頸城郡松之山村(現在の十日町市)出身[2]。日本レイヨン青年学校本科卒業[3]。警視庁に勤務。
1954年アジア競技大会(マニラ)ではラピッド・ファイア・ピストルとフリー・ピストルの2種目に出場、金メダルを獲得[4]。
1956年メルボルンオリンピックでは、男子ラピッド・ファイア・ピストルと男子フリー・ピストルの2種目に出場。男子フリー・ピストルで4位入賞を果たした。
1958年アジア競技大会(東京)ではラピッド・ファイア・ピストルに出場し2連覇した[4]。
警視庁では警務部教養課で術科訓練にあたる[5]。1972年のあさま山荘事件では狙撃隊長を務めた[5]。
日米映画・NTV製作のセミ・ドキュメンタリー映画『殺人と拳銃』(1958)の主人公の一人、小坂荘司巡査長は保坂がモデルとなっている。
脚注
注釈
出典
参考文献
- (束原文郎)「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Choji HOSAKA - ISSF
- オリンピック日本代表選手団記録検索:「保坂、調司」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)