» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

依田有司

依田 有司(よだ ゆうじ、1957年12月23日 - )は、将棋棋士。2010年、引退。本間爽悦八段門下。(棋士番号)は145。東京都板橋区出身。

 依田有司 七段
名前 依田有司
生年月日 (1957-12-23) 1957年12月23日(65歳)
プロ入り年月日 1980年9月3日(22歳)
引退年月日 2010年3月25日(52歳)
棋士番号 145
出身地 東京都板橋区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 本間爽悦八段
段位 七段
棋士DB 依田有司
戦績
通算成績 259勝412敗(.3859)
竜王戦最高クラス 5組
順位戦最高クラス C級2組
2015年3月7日現在
(テンプレートを表示)

棋歴

奨励会時代もプロになってからも関東所属であるが、師匠は関西の本間爽悦八段である。これは、親戚の一人が本間との交流があったからである[1]

本格的に将棋を始めたのは中学2年の頃であり[1]、後にプロになった者としてはかなり遅い。中学卒業後、15歳で奨励会に入会。三段昇段から四段昇段(プロ入り)までは僅か4か月ほどであったが、二段から三段昇段までには3年以上かかった。その間、対戦相手の昇段がかかった一番で何度も勝ち、「奨励会の殺し屋」というキャッチフレーズがつく[1]。依田と同じ1980年度にプロ入りしたのは合計8人と多く、55年組と総称される。

1985年度に22勝18敗、勝率0.550の成績を挙げ、棋士として一つのピークを迎える。

1990年度は年間では負け越すも、大山康晴十五世名人屋敷伸之棋聖、および、後の名人・丸山忠久から勝利を挙げる。

1994年、(フリークラス宣言)でフリークラスに転出し、順位戦から退く。

2009年度は、(フリークラス宣言者の引退規定)[2]により現役最後の年度となる。2010年3月25日竜王戦6組昇級者決定戦1回戦・対武者野勝巳戦で敗れ、全棋戦の対局を消化。同日付で引退[3]。55年組の中では最初の引退となった。

棋風

振り飛車党で、四間飛車三間飛車が多く、特に、飛車の上にを繰り出す攻撃的な棋風である。

昇段履歴

主な成績

通算成績
259勝412敗
在籍クラス
表彰
  • 現役勤続25年表彰(2005年)

脚注

  1. ^ a b c 将棋世界」2000年1月号付録
  2. ^ 依田の場合はC級2組で(降級点)2点を持った状態でフリークラス宣言をしたので、もしも宣言せずにC級2組に留まっていれば、陥落(降級点累積3点)までの最短年数は1年。よって、基本年数15年に1年を加えた16年が宣言から引退までの年数。
  3. ^ “依田有司六段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
  4. ^ “2014年4月1日付昇級・昇段者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 依田有司|棋士データベース|日本将棋連盟
  • よだ将棋教室
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。