経歴
嵯峨朝にて少内記・大内記を務める。また、勲七等への叙勲を受けていることから、蝦夷征討にも従事したか。
淳和朝では、(尾張守)や左少弁など内外の諸官を歴任し、この間の天長2年(825年)従五位上に昇叙されている。
天長10年(833年)仁明天皇の即位に伴って、正五位下・右中弁に叙任される。翌承和元年(834年)第19次の遣唐使が派遣されることが決まると、(造舶使長官)に任ぜられ遣唐使船の築造を担当する。承和3年(836年)7月に遣唐使船は大宰府から唐に向け出航するが、間もなく渡海は失敗して7月から8月にかけて全ての船が九州各地に漂着した。そのため、9月に氏上は修理遣唐舶使長官に任ぜられ、遣唐使船の修理に当たっている。
官歴
注記のないものは『六国史』による。