経歴
桓武朝の延暦19年(800年)従五位下・大宰少弐に叙任される。
大同3年(808年)中務少輔、弘仁5年(814年)大蔵少輔と平城朝から嵯峨朝前半は京官を歴任する。その後、弘仁7年(816年)従五位上、弘仁13年(822年)正五位下と昇進する。
弘仁14年(823年)4月に淳和天皇の即位に伴って従四位下に叙せられるが、同年7月22日(卒去)。享年63。最終官位は(越後守)従四位下。
人物
(歩射)に非常に優れ、若い頃より鷹犬を愛好した。憎しみの心が強く、人を射ることも憚らなかった。晩年は心構えを改め、暴慢との評判は聞こえなくなったという[1]。
官歴
『日本後紀』による。