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伊達 村茂(だて むらしげ)は、江戸時代中期の仙台藩士。始め白石城主片倉家6代当主となり、片倉 村信(かたくら むらのぶ)と称す。のち実家に戻り仙台藩一門第七席・(宮床伊達家)4代当主。
生涯
正徳6年(1716年)4月7日、宮床伊達家3代当主・伊達村興の子として誕生。幼名は喜世之助。
享保5年(1720年)に跡取りのいなかった白石城主・片倉村休が危篤状態に陥ると、伯父である藩主・伊達吉村の命によって村休の末期養子となり片倉家6代当主となる。ただし喜世之助は幼少のため、(古内義長)が後見人となって家政を総監し、片倉領には目付が派遣されて統治にあたった。
享保8年(1723年)3月21日、元服し、吉村より偏諱を授かって片倉小十郎村信と名乗る。ところが、享保16年(1731年)3月に宮床伊達家を継ぐはずであった兄・(村胤)が急死すると、吉村は村信に村興の跡目を継ぐよう命じたため、村信は一族・遠藤定利(3代片倉景長の三男)に片倉家の家督を譲った。
同月、実家に戻った村信は村興から家督を譲られて宮床伊達家4代当主となり、伊達助三郎村茂と名を改めた。
系譜
- 父:伊達村興(1683-1766)
- 母:三沢宗直の娘
- 養父:片倉村休(1683-1720)
- 正室:伊達村望の娘
- 長男:伊達村嘉(1745-1776) - 宮床伊達家5代当主
- 次男:(伊達村頼) - 算十郎・実庸
- 養子
伊達宗房 ┏伊達吉村 ┣━━━┫ ┏まつ ┗伊達村興━━伊達村茂(片倉村信) ┃ 片倉景長━╋片倉村定(遠藤定利) ┃ ┗片倉村長━━片倉村休
脚注
参考文献
- 『白石市史』1(宮城県白石市、1979年)