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略歴
延享4年(1747年)6月に世子とされた。宝暦13年(1763年)9月16日に父の隠居により家督を継いだ。有能で無かった父と較べて才能に優れ、性質は温厚というまさに名君で、家臣の意見をよく聞く人物だった。ただし、一部に感情の激しいところがあり、家臣を震え上がらせたとも言われている。明和7年(1770年)に旱魃が追こって領民が苦しむと、自ら節約に努めて領民を助ける施策を講じている。
安永7年(1778年)6月23日、父に先立って死去した。享年43。跡を長男・長寛が継いだ。
長詮が死去したとき、領民は皆悲しみに暮れたと言われている。