生涯 11代将軍足利義澄に近習として仕え、永正5年(1508年)の義澄出奔後は将軍職に復権した足利義稙の御供衆となった。大永元年(1521年)の父の死後執事職を継承、12代将軍足利義晴にも仕え、亡くなるまで幕府の財政管理と訴訟を担った。天文4年(1535年)に死去、養子の貞孝が執事職を継承した。
大永3年(1523年)に義晴を自邸に招いたことを『伊勢守貞忠亭御成記』として記録した。
参考文献脚注 [脚注の使い方]
- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、110頁。
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