仏陀跋陀羅(ぶっだばったら、サンスクリット語: Buddhabhadra, ブッダバドラ 359年 - 429年)は、東晋の中国で活動した北インド出身の訳経僧。姓は釈迦氏、カピラヴァストゥの人である。名前は、音写されて「仏陀跋陀羅」もしくは「仏馱跋陀羅」とされ、意訳されて「覚賢」「仏賢」「覚見」とされる。
生涯
17歳で出家、同学の僧伽達多とともに罽賓に至った。そこで、中国僧の(智厳)と出会い、智厳から、中国では正しい禅法を教化できる師を求めていることを聞き、中国行を決意する。
最初、青州に渡来し、長安に向かって、鳩摩羅什とともに過ごした。その後、長安の(道恒)らの有力僧の排斥を受けて、慧観らの門弟40名を伴って南へ逃れた。排斥の原因は、仏陀跋陀羅の持していた禅法と戒律が、鳩摩羅什の影響下にあった長安仏教界には受け入れられなかったことにあるとされる。
「大般涅槃経」や六十巻本の「華厳経」、「摩訶僧祇律」など15部117巻を翻訳した。
また、近年の仏教学では、二巻本「(仏説無量寿経)」は仏陀跋陀羅と宝雲による共訳であるという説が有力となっている[1]。
翻訳
- 大方廣佛華嚴經
- 文殊師利發願經
- 達摩多羅禪經
- 佛説觀佛三昧海經
- 大方等如來藏經
- 摩訶僧祇律
など
脚注
注釈
出典
- ^ 齊藤舜健「無量寿経」 - 新纂浄土宗大辞典、浄土宗。