略歴
1390年代に(横田師綱)(泰朝)の四男として誕生。
天授6年(1380年)、宇都宮基綱と小山義政が宇都宮茂原で激突した際、宇都宮基綱は討死、一門である多功氏、横田氏、蒲生氏等もかなりの被害を出した(茂原合戦)で、父も重傷を負っており、横田氏族は勢威を落としていた。
元朝は応永17年(1410年)頃に元服し、兄・(横田綱業)が横田氏当主になると(上三川継俊)、(刑部良業)らと共に横田氏族の勢威回復に尽力した。宇都宮城の北東にある河内郡今泉郷に入り今泉氏を名乗った。
脚注
出典
- 恩田浩孝『座禅院昌尊の生涯 日光山の終焉と上三川 今泉家』(随想舎、2015年)(ISBN 978-4-88748-312-5)