今井 白楊(いまい はくよう、1889年12月3日 - 1917年8月2日)は、日本の詩人である。
人物
本名は国三。別号に夏明、太原、冬夜。鹿児島県薩摩郡隈之城村大字東手の向田(現在の鹿児島県薩摩川内市)の焼酎製造業の家に生まれた[1]。 川内中学校(現在の鹿児島県立川内高等学校)で岩谷莫哀と同窓となり、早稲田大学英文科に進学[1]。1909年、自由詩社に参加。機関紙「自然と印象」に詩を発表するほか、河井醉茗主宰の「詩人」(詩草社)などにも作品を寄せている。
1911年、『闇と脚光』で第5回雑誌『太陽』懸賞脚本に当選(賞金100万円)[2]。
1914年、「失楽園物語」[3]を執筆。
1917年、千葉県犬吠埼で遊泳中に親友三富朽葉とともに溺死[4]。そのために単行本になった詩集はない。犬吠埼灯台下に朽葉の父三富道臣が建立した涙痕の碑がある[4]。
脚注
参考文献
- 川内郷土史編さん委員会『川内市史 下巻』川内市、1980年。
外部リンク
- 悲しさの中にほゝえみし花(新作三篇) 今井白楊 (『自然と印象』第2集、1909年6月発行)
- 川内まごころ文学館