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五橋通り

五ツ橋通(いつつばしどおり)は、仙台市都心部の南西縁辺りを東西に斜めに走る「市道片平五橋通線[1]」に対応する仙台市の愛称命名道路五橋通と書く場合もある。「仙台市総合道路整備計画」における骨格幹線道路網「3環状12放射状線」のうち、最も内側の環状道路である「都心環状線」の一部を成し[2]、都心部を迂回して西部の仙台西道路国道48号)と南部の東二番丁通国道286号)および愛宕上杉通とを結ぶため、自動車交通上、重要である。

現在の五橋通り

「いつつばしどおり」と称される道は、戦災復興区画整理事業の前後で区間が異なるため、以下に分けて記載する。

五橋通(江戸期~復興期)

(仙台城下町)において、「○○通」は「○○に至る道」を意味する((参照))。この命名法に従い、奥州街道から五橋に至る道であるため『五橋通』と江戸時代に名付けられた。この命名法に依拠し、現在の「五ツ橋通」でも終点側は五橋である。

江戸時代から第二次世界大戦後の戦災復興区画整理事業までの『五橋通』は、清水小路(現在の愛宕上杉通)との交差点である五橋から西へ向かい、奥州街道との交点までの東西の道を指す。現在の「五ツ橋通」のうち、終点の五橋駅前交差点(愛宕上杉通との交差点)から東二番丁通国道4号)を過ぎて、東北大学片平キャンパス東側までの区間に当たる。当時のメインストリートである奥州街道から五橋に至るこの『五橋通』は街道から外れており、特別重要な道ではなかった。

五ツ橋通(復興期以後)

戦災復興区画整理事業によって『五橋通』は北西方向に延長され、現在は延長部分も含めて「五ツ橋通」と称される。なお、現在の仙台市で「○○通」は、仙台城下町の命名法の他に、町名と区別するためのものや単純に道に命名されたものまで混在する。

「五ツ橋通」は、全線に渡って仙台市青葉区内を走る。

 
染師町(後の上染師町)に当たる区間。現在の地名では、右が北目町、左が(片平)。(2007年10月)

起点から直進して(片平丁通)等との分岐までは、江戸時代の片平丁の一部である。そのまま直進して(良覚院丁)庭園前でやや左(北)へ折れ、晩翠通まで短く直進して仙台高等裁判所の前で右(南)に折れる。この後、戦災復興区画整理事業で造られた約600mの長い直線区間に入る。この直線は、碁盤目状になっている都心部において斜めに走る珍しい区間であり、すぐに南町通と交差して、その後も国分町通東一番丁通・(柳町通)等と縦横に交わる。その後、北目町通との分岐でさらに右に折れて南進するが、この約350mの区間は江戸時代の奥州街道に当たり、当時は北側が(北目町)、南側が染師町(後の上染師町)と呼ばれていた。上染師町の中程で十字路に至り、直進は上染師町の南半分(現在の(田町通))、右折(西行き)は七軒丁、左折(東行き)は復興期前の『五橋通』となる。そのまま東に進んで、仙台市地下鉄南北線五橋駅がある愛宕上杉通(旧清水小路)との十字路の五橋駅前交差点で終点となる。

終点の先には、現在の(連坊小路)がそのまま東に延びるが、戦前は清水小路の一町東の(東七番丁)より東が正式には連坊小路だったようである。

なお、江戸時代には仙台六町につぐ地位を与えられた北目町に伝馬が置かれ、仙台城下町の南のターミナルの役割を担った。

沿道の施設など

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 仙台市道青葉1163号・片平五橋通線(最小幅員17.07m、最大幅員43.30m、延長1617.1m)
  2. ^ 道路部事業概要(仙台市)

関連項目

外部リンク

  • 歴史的町名活用路線(仙台市)
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