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乙塚古墳

乙塚古墳(おとづかこふん)は岐阜県土岐市泉町久尻にある飛鳥時代(7世紀前半)の方墳で、美濃地方最大級の石室を有する。もとは円墳とみられていたため、資料によってはそのように記述されているものがある。付近にある段尻巻古墳とともに国の史跡に指定されている。

乙塚古墳
所在地 岐阜県土岐市泉町久尻1167
形状 方墳
規模 一辺約26~27m
出土品 須恵器土師器勾玉など
築造時期 7世紀前葉から中葉
被葬者 不明
史跡 1938年昭和13年)国の史跡
(テンプレートを表示)

概要

地元に伝わる伝説によれば八坂入彦命の御子、弟姫の墓と伝わるがそれを裏付ける出土品は確認されていない。遺物や遺構から古墳時代後期の7世紀前葉から中葉に築造されたものとみられる。

墳丘は一辺が南北に27.4m、東西に26.1mあり、高さは5.8mある。石室は両袖型横穴式で花崗岩により作られており、玄室は高さ2.7m、奥行き5.2m、幅2.6mあり、羨道は高さ2.6m、奥行き6.4m、幅2.4mで石室全体では全長19.2mと美濃地方最大級の規模を有する。入口は南に向かって開口しており、江戸時代には近隣にあった乙塚庵という寺院により供養が行われ、第二次世界大戦時においては防空壕として利用された。そのため古墳時代以降に持ち込まれた陶器片などが石室から発見されている。古墳はその後久尻神社の所有となったが、土岐市が所在地を購入し現在に至っている。1988年(昭和63年)に古墳に繁茂していた樹木が伐採。2003年(平成15年)から2006年(平成18年)にかけて土岐市教育委員会により発掘が行われ、それまで削平などのため円墳とみられていたが方墳であったことが確認された。また、石室の礫床は長らく失われたものと考えられてきたが、2019年の発掘によりわずかに残っているのが確認されている。同年、2021年までの3か年で土岐市により史跡として整備が行われることが発表され、2023年4月から一般公開が再開。古墳時代の遺物としては須恵器の鳥鈕蓋などが出土している。

1938年(昭和13年)12月14日に国の史跡に指定され、2017年(平成29年)には周辺領域が追加して史跡に指定された。

ギャラリー

関連項目

外部リンク

  • 乙塚古墳-土岐市のサイト

参考文献

  • 舟橋正 岐阜県の文化財 p304 平成10年(1998年)
  • 土岐市 土岐市史 第3巻下 p462 昭和49年(1974年)
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