久賀 三夏(こが の みなつ)は、平安時代初期の貴族。氏は興我とも記される。桓武天皇の孫。三品・明日香親王の子。官位は正五位下・(信濃守)。
経歴
弘仁9年(818年)3人の兄弟と共に、(久賀(興我)朝臣)姓を与えられて臣籍降下する。これは桓武天皇裔の二世王に対する初めての賜姓で、天長2年(825年)の葛原親王の子息(平高棟ら)に対する平朝臣姓の賜姓より7年早い[1]。
承和5年(838年)無位から従五位下に直叙され、承和7年(840年)雅楽頭に任ぜられる。その後、仁明朝では(丹後守)・左馬頭を歴任し、承和12年(845年)従五位上に叙せられている。
官歴
『六国史』による。
脚注
- ^ 『日本後紀』天長2年7月6日条