概要 官位相当は未詳だが、頭に任じられたものをみると、従五位下相当であったと推定される。
主馬寮官人の任命の初見は、
従四位上伊勢
(いせ)朝臣老人
(おきな)を主馬頭
(しゅめのかみ)
という記述である[1]。この時点での内厩頭である道嶋嶋足は正四位上、内厩助の紀船守が従四位上とあり、これらと釣り合いを取ろうとした形跡が見受けられる。
その後、『日本後紀』には延暦25年4月の藤原山人が主馬権助に任命された[2]のが最後である。大同3年6月(808年)には左右馬頭が再度任命され[3]、この時に内厩寮とともに再編され、新たに左右馬寮が発足したものと推定される。
脚注 [脚注の使い方]
- ^ 『続日本紀』巻第三十六 光仁天皇 天応元年5月7日条
- ^ 『日本後紀』巻第十三 桓武天皇 延暦25年4月28日条
- ^ 『日本後紀』巻第十七 平城天皇 大同3年6月9日条
参考文献 - 『続日本紀』5 新日本古典文学大系15 岩波書店、1998年
- 『続日本紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1992年
- 『日本後紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、森田悌:訳、2006年
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