主体美術協会(しゅたいびじゅつきょうかい)は、1964年、創立された美術団体。自由美術家協会から分かれて創立され、1965年から公募美術展「主体展」を開催している。
概要
主体美術協会発足当初、中心となった美術家は、大野五郎、寺田政明、中島保彦、森芳雄、吉井忠、末松正樹ら。(1970年安保問題)についての態度を討議したり、1987年には国家秘密法案に反対する声明文を出すなど、社会的な問題にも関与もしてきた。行動美術協会、日本美術会などと共同で美術家の偲ぶ会や公募団体のあり方をめぐって会合を開くことがあった。
経緯
- 1964年8月3日、東京都内で会合を持ち、大野五郎、寺田政明、中島保彦、森芳雄、吉井忠、末松正樹、中野淳ら38名で自由美術家協会退会を決意。8月5日、退会声明。同年8月26日、運営委員会で新団体結成の呼びかけを行うことを決定。呼びかけの結果、新たに司修ら39名参加。同年9月26日に会名を「主体美術協会」にすることを決定。代表者は森芳雄。東京都美術館で公募展として開催することを決め、同年12月3日、使用許可を受ける[1]。
- 1965年6月6日〜6月19日、責任者中島保彦のもとに、東京都美術館で第1回展開催[1]。
- 1966年7月、愛知県美術館と京都市美術館、同年8月、北九州市立八幡美術館で巡回展。機関紙「主体美術」第1号発刊。主体美術第2回作品集発行[1]。
- 1970年、総会で、70年安保問題に関する会としての態度を討議する[1]。
- 1975年、主体美術小史を編纂[1]。
- 1976年9月1日〜9月11日、第12回展。行動美術協会と合同で、公募団体のあり方について議論[1]。
- 1987年3月31日、国家秘密法案に反対する声明文を発表。「表現の自由」をサブタイトルとするパンフ発行[1]。
- 1993年、9月、「大グループ展」問題で二度の総会を開く。赤塚徹、中野淳、根岸正ら10名退会し、新団体を準備。
- 1998年、「画家 森芳雄を偲ぶ会」を開催[1]。
- 1999年、「画家 吉井忠を偲ぶ会」を開催。主体美術協会、日本美術会、美術家平和会議共催[1]。
- 2000年3月29日〜4月9日、北海道立近代美術館で「創立35年記念企画 主体美術北海道展」を開催[1]。
- 2004年9月1日〜9月16日、創立40年記念展。研究シンポジウム「私の仕事今、昔─大野五郎」開催[1]。
出典
関連項目
外部リンク
- 公式サイト