中臣 逸志(なかとみ の いちし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は壱志とも記される。中臣氏三門、(伊賀守)・中臣益継の子。官位は従四位上・神祇伯。
経歴
平安京の左京出身。承和3年(836年)内蔵少允に任ぜられると、同大允・助と内蔵寮官人を歴任し、承和15年(848年)内蔵頭に至る。この間の承和11年(844年)従五位下に叙爵している。
嘉承2年(849年)神祇権少副、嘉承3年(850年)神祇大副、貞観2年(860年)神祇伯と、仁明朝末以降は内蔵頭に神祇省官人も兼ね、各地の神社へしばしば派遣されている。また、この間に仁寿元年(851年)従五位上、貞観元年(859年)正五位下、貞観5年(863年)従四位下、貞観9年(867年)従四位上と清和朝において順調に昇進した。
官歴
注記のないものは『六国史』による。
系譜
「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。
- 父:中臣益継
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 長男:大中臣伊度人
- 次男:中臣安人
- 三男:中臣起生