由緒
元々は妙正寺の朱印地内で十羅刹を祀った「十羅刹堂」があった。神体は男根状の自然石である。昔、所沢か(田無)周辺の人が江戸から帰る途中、急に腹痛を起こし妙正寺に担ぎ込まれた。僧侶の祈祷で腹痛は治ったが、その人が持っていた男根状の自然石を見て、「この石は霊石で、この地で祀られたいから腹痛を起こしたのだ」ということで、この石を十羅刹として祀ったという[1]。
江戸時代までは十羅刹様などと呼ばれたが、明治時代になり神仏分離令により、妙正寺から切り離され天祖神社となった。そして井草八幡宮の境外神社にもなった。
境内社
- 市杵嶋神社
- 稲荷神社
- 三峯神社
アクセス
脚注
- ^ 杉並郷土史会著、東京にふる里をつくる会編『杉並区の歴史 (東京ふる里文庫12)』名著出版、1978年、217-218p
参考文献
- 杉並郷土史会著、東京にふる里をつくる会編『杉並区の歴史 (東京ふる里文庫12)』名著出版、1978年