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中村勘三郎

中村 勘三郎(なかむら かんざぶろう)は、歌舞伎役者の名跡屋号は、初代以降が柏屋、十四代目以降が舞鶴屋、十七代目以降が中村屋定紋は、初め丸に舞鶴(まるに まいづる)だったが、のちに角切銀杏(すみきり いちょう)に代わった(詳細は(「鶴姫」項の「鶴字法度」節)を参照)。今日ではその丸に舞鶴が替紋として復活している。

角切銀杏
丸に舞鶴

解説

当初「中村勘三郎」は江戸三座の一つ・中村座の(座元)(座を主宰し芝居小屋を経営する者)の名跡だったが、後代になると座元が役者に転じたり、逆に役者が座元を兼ねたりすることが多くなる。幕末になると「中村勘三郎」は実際に名乗る者がいない「預かり名跡」となった。これを昭和になって復活させたのが十七代目中村勘三郎である。

大雲寺には中村勘三郎累代墓が残る。[1]

中村勘三郎代々

初代 中村勘三郎
山城の武士中村勘兵衛の次男、1597–1658。異説もある。現在の名古屋出身。
猿若勘三郎→初代中村勘三郎
(二代目 中村勘三郎)
初代の二男、1647–1674。
中村勘二郎→初代中村明石→中村明石勘三郎→二代目中村勘三郎
(三代目 中村勘三郎)
初代の三男、1649–1678。
中村長三郎→三代目中村勘三郎
(四代目 中村勘三郎)
三代目の養子、1662–1713。
中村七之助→二代目中村明石→初代中村勘太郎→四代目中村勘三郎→初代中村傳九郎(隠居名)
(五代目 中村勘三郎)
三代目の子で四代目の養子、1666–1701。
竹松→五代目中村勘三郎→中村傳九郎
(六代目 中村勘三郎)
(初代中村勘九郎)の次男、または四代目中村勘三郎の弟、のち五代目中村勘三郎の養子、1688–1758。
中村又三郎→六代目中村勘三郎→二代目中村勘九郎(隠居名)→中村傳九郎(隠居名)
(七代目 中村勘三郎)
六代目の長男、1717–1775。
三代目中村明石→七代目中村勘三郎
(八代目 中村勘三郎)
六代目の次男、1719–1777。
中村勝十郎→二代目中村傳九郎→八代目中村勘三郎
(九代目 中村勘三郎)
八代目の養子、1765–1785。
初代中村七之助→三代目中村七三郎→九代目中村勘三郎
(十代目 中村勘三郎)
八代目の次女の婿、生年不詳–1810。
熊吉→十代目中村勘三郎
(十一代目 中村勘三郎)
八代目の娘婿、1766–1829。父は二代目市川八百藏
二代目(中村傳藏)→三代目中村傳九郎→十一代目中村勘三郎
(十二代目 中村勘三郎)
十一代目の次男、1800–1851。
四代目中村明石→五代目中村傳九郎→十二代目中村勘三郎→三代目中村勘九郎(隠居名)
(十三代目 中村勘三郎)
十二代目の子、1828–1895。
三代目中村傳藏→十三代目中村勘三郎
預十四代目 中村勘三郎
十二代目の門弟、1809–1886。母は振付け師の三代目(志賀山せい)。
初代中村鶴蔵→三代目中村仲蔵(預十四代目中村勘三郎)
(預十五代目 中村勘三郎)
十三代目の子、1873–1940。
五代目中村明石(預十五代目中村勘三郎)
(預十六代目 中村勘三郎)
預十五代目の娘、生没年不詳。
中村勝子(預十六代目中村勘三郎)
十七代目 中村勘三郎
三代目中村歌六の三男、1909–1988。
三代目中村米吉→四代目中村もしほ→十七代目中村勘三郎
十八代目 中村勘三郎
十七代目の長男、1955–2012。
五代目中村勘九郎→十八代目中村勘三郎

脚注

  1. ^ 大雲寺(だいうんじ)。江戸川区、2019年10月13日参照。
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