地理歴史経済 村高は『伯耆志』によると220石余[1]。『元治郷村帳』によると229石余[2]。
人口地域 社倉、小祠4、辻堂1がある[1]。産土神は尾高村にある大神山神社[1]。米子市日下の瑞仙寺蔵『会見郡久坂山瑞仙寺年中筆記』(寛政四年)の正月の記事に「一 下河原村鉢屋来る。黒米壱升・小餅三ツ、外ニ袋持エ弐合程遣ス。」「一 下河原村穢多エ黒米壱升、外ニ袋持エ少シ遣ス。」[3]とあり、下河原村に鉢屋、穢多などの賤民が存在していたことを確認できる。
脚注参考文献 - 景山粛『伯耆志 巻一』因伯叢書発行所、1916年。
- 『鳥取県史 第8巻 近世資料』鳥取県、1977年。
- 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。
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