略歴
下毛野氏は、10世紀以降に代々下級武官を務めた氏族であった[2]。公時は近衛府の下級官人であった下毛野公友を父、尾張兼時の娘を母として長保2年(1000年)に出生した。
寛弘6年(1009年)には、近衛舎人となっており、18歳で死去するまでには(番長)となり、その間三条天皇の行幸に際しての歌舞(東遊)や、(騎射)((真手結))、相撲使を務め、併行して藤原道長の随身ともなっていた。
伝説化
詳細は「金太郎」を参照
存命中、近衛府官人「第一の者」と言われ、死後もその評判は衰えなかった[1]。『今昔物語集』では既に源頼光の郎党としての「公時」が見られており、伝説化の始まりと言える[1]。その後鎌倉時代から中世末期にかけ、「頼光四天王」伝説の定着により、次第に「金太郎」伝説となっていったと考えられている[1]。
系譜
脚注
参考文献
- (川島茂裕)「下毛野公時と金太郎伝説の成立」『国立歴史民俗博物館研究報告 第45集 田中稔教授追悼号』、国立歴史民俗博物館、1992年12月。
- “【下毛野氏(しもつけぬうじ)】” ((日本語)). 世界大百科事典 第2版 (1998年10月). 2014年7月25日閲覧。
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年