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上文司家住宅

上文司家住宅(じょうもんじけじゅうたく)は、山梨県富士吉田市上吉田、北口本宮冨士浅間神社の門前に建つ、明治時代の住宅。 富士講御師の住宅であり、2017年10月、国の「登録有形文化財(建造物)」に登録された[1][2]

上文司家住宅
所在地 山梨県富士吉田市上吉田四丁目269番地
位置 北緯35度28分48.5秒 東経138度47分41.6秒 / 北緯35.480139度 東経138.794889度 / 35.480139; 138.794889座標: 北緯35度28分48.5秒 東経138度47分41.6秒 / 北緯35.480139度 東経138.794889度 / 35.480139; 138.794889
類型 御師住宅
形式・構造 木造平屋一部2階建、鉄板葺
建築年 西暦1868-1877年 明治時代
文化財 国の登録有形文化財
(テンプレートを表示)

概要

御師の住宅(宿坊)として代表的な建築物である。 江戸時代に86軒[3]連なった富士山北口(富士吉田市)御師住宅の一軒であり、上文司家が本住宅にて400年間御師を営んできた[3][4]。 上文司家住宅は、北口本宮富士浅間神社の参道から続く通称富士みち(国道137号国道139号の重複区間)の西、細長い敷地内に建つ。 表通りに面した石柱門から、タツミチ(細長い通路)を進み、中門をくぐり、ヤーナ川(禊ぎを行う小川)を渡り、その先正面に建つ。 建物は、母屋の後方に渡廊下で御神前が接続する。富士山御師の形式をよく残している[2]。 一般的な富士山御師同様、単なる住宅ではなく、宿坊、御神前を備え、宿坊にて参拝者(登山者)に宿を提供し、世話を行い、御神前にて祈祷を行い、参詣者と神仏の仲立ちを行っていた[5]

上文司家住宅は、個人宅のため、非公開。

御師上文司家18代目当主[6]である上文司厚は、北口本宮冨士浅間神社の宮司を務めている[7]

歴史

御師上文司家は約400年続くと伝えられている[3]

明治時代(1868〜1877年)に御師上文司家により主屋が建てられた[2]。 保存状態が良く歴史的価値が高いため、2017年10月、国指定の「登録有形文化財」に登録された。

関連項目

脚注

  1. ^ “上文司家住宅主屋  国指定文化財等 データベース”. bunka.nii.ac.jp. 2021年12月6日閲覧。
  2. ^ a b c “上文司家住宅主屋(山梨県富士吉田市上吉田) 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2021年12月6日閲覧。
  3. ^ a b c “ひらかれた富士山への道 山梨県公式ホームページ”. 2021年12月4日閲覧。
  4. ^ “富士山が世界遺産に登録された日”. 2021年12月4日閲覧。
  5. ^ “御師旧外川家住宅”. ふじさんミュージアム. 2021年11月30日閲覧。
  6. ^ “ブラタモリ 10月29日放送~富士山最大の玄関口はどうできた? Halohalo online”. 2021年12月4日閲覧。
  7. ^ “富士山信仰 興隆伝え 冨士浅間神社に重文指定書 社殿8棟 市内3件の国文化財にも 富士吉田/山梨 毎日新聞”. 2021年12月4日閲覧。
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