人物
呼出になる前は富山で薬売りをしていたが、1955年に28歳で花籠部屋から初土俵を踏む[1]。花籠部屋の閉鎖に伴い1985年に放駒部屋へ移籍し[2]、1992年10月に停年(定年)退職した[1]。
「透き通る美声が角界一」という評もあったが、入門が遅く最後は十両呼出として停年を迎えた[1]。停年の際には「私にとっては定年でなく卒業なんです」と語り、角界を離れた後も講演活動などを続けた[1]。呼び上げ以外にも「相撲甚句の名人」の異名を取っていた[1]。同部屋の弟弟子だった克之とは晩年まで交流を持っていた[1]。
2021年12月28日に老衰のため死去[1]。94歳没。
履歴
- 1955年9月場所 初土俵。
- 一等呼出
- 1992年9月場所限り 停年退職。