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三菱・ギャランGTO

コルトギャランGTO(コルトギャラン ジーティーオー、COLT Galant GTO)は、1970年より三菱自動車工業が製造・販売していたファストバックスタイルの2ドア(ハードトップクーペ)。

概要

コルトギャランの基本設計を流用しつつ、新たにスポーティーなハードトップクーペとして登場した。ドアパネルをギャランハードトップと共通とした以外は専用設計である。特にその造形設計(スタイリングデザイン)は、「ダイナウェッジライン」と称したスタイリッシュなフォルムで(『絶版日本車カタログ』三推社講談社 64頁参照)、トランクリッド後端の跳ね上がったダックテールは日本初である。当時のアメリカ製「マッスルカー」のトレンドを、小型車のサイズに巧みに反映させた精悍なものと評された。同じダックテールスタイルで登場したトヨタ・セリカLB(リフトバック)は1973年発売と、GTOより3年も後の事である。キャッチコピーは「Hip up coupe(ヒップアップクーペ・ギャランGTO)」。

歴史(1970年-1978年)A53C/A55C/A57C型

三菱・コルトギャランGTO
A53C/A55C/A57C型
 
1600MR
 
 
2000GS-R
※1973年1月 - 1975年2月までの仕様
概要
販売期間 1970年10月 - 1978年3月
(1977年7月生産終了)
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 2ドア ハードトップクーペ
駆動方式 FR
(パワートレイン)
エンジン 直4 1.6L/1.7L/2.0L
変速機 4MT/5MT/3AT
車両寸法
ホイールベース 2,420mm
全長 4,125mm
全幅 1,580mm
全高 1,310mm
車両重量 980kg
その他
備考 デビュー時のMRのスペック
系譜
後継 三菱・ギャランΛ
(テンプレートを表示)
  • 1969年秋 - ギャランクーペGTX-1の名で東京モーターショーに出展される。
  • 1970年10月 - コルトギャランGTOの名前で発表および発売。イメージリーダー的グレードの「MR」は同年12月発売。当初は全てOHCヘッドを用いた(サターンエンジン(4G32型エンジン))を搭載していた。内、「MR」に限りDOHCヘッド化されたエンジン((4G32型))を搭載。メッキグリルと黒いライトベゼルが前期顔である。テールランプは赤一色の角型4灯で、テールウインカーはブレーキ/テールランプ共用となっているのが初期型の特徴。テールは4灯同時に点灯、ウインカー作動時は片側2灯ずつ点滅する。
  • 1972年2月 - 排気量を100ccアップしたエンジン(4G35型SOHCエンジン)を搭載した17Xシリーズとなり、AT車を追加。これに伴い「MR」を除き1,600ccの4G32型SOHCエンジン搭載車が廃止。テールデザインは変わっていないが、赤4灯だったテールの内側2灯がウインカーとして割り振られ、レンズがオレンジ色になった。テール/ブレーキ共用だったテールウインカーは現在の車と同じ独立した点灯方式になっている(これによって4灯だったテール/ブレーキは外側2灯のみ点灯となる)。
  • 8月 - 昭和48年排出ガス規制により「MR」廃止。高価なMRは835台生産と少数に留まる。
  • 1973年
    • 1月 - マイナーチェンジ。フロントグリル、テールランプの意匠変更。テールは角形4灯からひらがなの「く」型を基調としたデザインになっている。デザイン変更により、独立したウインカーを配置した上で再びテール/ブレーキランプが4灯になっている。「1700SL」以外、2,000ccのアストロンエンジン(4G52型SOHCエンジン)へ移行する。トップグレードの「GS-R」はMRと同じ125馬力。
    • 10月 - 一部改良(安全対策)。
    • 1974年8月 - 保安基準改正によりオーバーフェンダ装着車である「GS-R」廃止。
  • 1975年
    • 2月 - 2度目のマイナーチェンジ(仕様変更・安全対策)。3速AT車が廃止。2,000ccはサイレントシャフトが搭載されたアストロン80エンジン(4G52型エンジン)に変更。馬力変更は無し。GS-Rは高速走行時に車体を安定させる効果のあるエアダムスカートを装着。
    • 10月 - 一部変更。昭和51年排出ガス規制適合により全車パワーダウンを余儀なくされる。「1700SL」が4速MTから5速MTに変更され、「1700SL-5」に改称。事実上、トランスミッションが全車、5速MTに統一となる。
  • 1976年
    • 5月 - 一部変更(仕様変更・安全対策・最終型)。自動車保安基準改正による安全対策の強化のため前後バンパーの側面部分に黒色塩ビ樹脂製のサイドプロテクターが標準で装着される。これに伴いグレードが整理され、需要不振を理由に「2000GS-5」のみカタログ落ちとなる。
  • 1977年7月 - 昭和53年排出ガス規制に適合出来ず生産終了。以後、流通在庫分のみの販売となる。
  • 1978年3月 - 販売終了。日本国内における総生産・販売台数は95,720台だった。 実質的な後継車は三菱・ギャランΛとなる。なお、後のGTOスタリオンの系譜である。

車名の由来

  • GTOは「Gran Turismo Omologato」(イタリア語でGTレース用ホモロゲーションモデル)を意味する。フェラーリ・250GTOや、ポンティアック・GTOと同じだが、元祖はフェラーリである。
  • グレード名MRは「Mitsubishi Racing」を意味し、これ以降三菱の最上級スポーツモデル(三菱・GTOランサーランエボなど)に与えられる名称として受け継がれていく。ギャランGTOの生産終了以降、20年近く封印されることになる栄光の記号である。

関連項目

外部リンク

  • ギャランGTOネットワーク ギャランGTOのオーナーズクラブ。歴史や資料はこちらが詳しい
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