沿革
羽布ダムは、矢作川の下流西三河南部地域の穀倉地帯をかんがいするために建設された。矢作川は昔から 「五万石でも岡崎様は・・・お城下まで船が着く・・・」 と唄われたほど水量豊かな川であったが、明治時代の中ごろには中流部で、明治用水や枝下用水など大規模な農業用水が開かれ、また明治末期には発電所も次々と開発されるなど、水の利用量が増えてきた。
こうした中、1944年・1945年(昭和19・20年)と続いた大干ばつにも見舞われ、大きな被害を受けた下流地域の農家から、根本的な対策を求める声が高まった。そこで農林省(現・農林水産省)が水不足を解消するため、国営の矢作川農業水利事業として、矢作川の支流である巴川上流の下山村(現豊田市)に農業用の利水ダムとして建設された。1997年(平成9年)からは、岡崎市の上水道の一部にも使われるようになった。
羽布ダムは1952年(昭和27年)4月から11ヵ年の年月を要して1963年(昭和38年)3月に完成し、せき止められた人造湖は「三河湖(みかわこ)」と命名された。1964年(昭和39年)4月より、管理が愛知県西三河農林水産事務所に移行している。
観光
羽布ダムは愛知高原国定公園の玄関口にあたり、「三河湖」の愛称で親しまれて、新緑の春、キャンプの夏・紅葉の秋と観光客の来遊が多く、湖面では魚釣・ボート遊覧が楽しまれている。
2005年(平成17年)、地元からの推薦によってダム湖である三河湖は財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれている。
ダム湖百選プレート
ダム湖から望む堰堤
三河湖
関連項目
外部リンク
- 「ダム便覧」 羽布ダム
- ダム湖百選・三河湖
- 東海農政局
- 豊田市観光協会・三河湖
- 愛知県西三河農林水産事務所