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三木国綱

三木 国綱(みつき くにつな、天文15年(1546年) - 天正13年(1585年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての神官武将一宮国綱とも表記される。姉小路良頼の娘婿。飛騨(山下城)主。官途名刑部大輔。入道三澤。

略歴

飛騨一宮水無神社の神官の一族だったが、姉小路氏の家臣となって良頼の娘婿となったことから、三木姓を名乗ることを許された。山下城を築城し居城とした。

天正13年(1585年)の金森長近による飛騨侵攻の際には、松倉城に籠城した。落城時に逃れ隠棲した。

のち領民と共に反旗を翻し、「(三沢の乱)」と呼ばれる一揆を引き起こした。一揆勢は金森可重の守備する山下城を攻めるが、逆に金森軍の反撃を受け国綱は戦死した[1]

人物・逸話

  • 国綱は神官としても地元の住民に慕われていたとされる。三沢の乱では乱の頭として、牢人衆である江馬時政・(鍋山利高)・(鍋山右近大夫)や(広瀬宗直)等と共に一揆を行った[2]
  • 山下城の居館は国綱が築城した。1577年に築城された居館と、詰の城である背後の山城がある。山城頂上の番城からは三木姉小路氏の松倉城が見え、西の尾根には(狼煙台)があり、すなわち連絡の役割として築かれた。城跡には山下城址の石碑と夫婦松がある。
  • 娘婿になるにあたり、水無神社神職の座は一族の森氏へ譲った。

脚注

  1. ^ 金森氏の家臣(槌打小金)に討取られたとされる
  2. ^ 牛丸氏の(牛丸親綱)は金森氏に従った

関連項目

外部リンク

  • 飛騨 山下城居館
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