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三宅 康雄(みやけ やすお)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。三河国田原藩2代藩主。田原藩三宅家5代。官位は従五位下・(出羽守)、(備前守)。
生涯
万治2年(1659年)10月29日、挙母藩2代藩主(後に田原藩初代藩主)三宅康勝の長男として誕生した。延宝2年(1674年)12月27日、従五位下・出羽守に叙位・任官する。貞享4年(1687年)、父の死去により家督を継いだ。
元禄2年(1689年)6月、江戸城一橋門番に任じられ、元禄6年(1693年)9月に駿府城番となる。元禄9年(1696年)6月に江戸城馬場先門番となり、9月に日光祭祀奉行、10月に奥詰、11月に5代将軍・徳川綱吉付の小姓に任じられ、元禄12年(1699年)3月28日には奏者番に任じられた。元禄13年(1700年)に水戸藩前藩主徳川光圀が死去すると、幕府の上使として水戸に赴いている。
宝永元年(1704年)10月1日に寺社奉行に任じられる。藩政では凶作や暴風雨が相次いで財政が苦しくなり、宝永3年(1706年)から家臣の知行削減を行なっている。正徳5年(1715年)6月に江戸城竹橋門番、享保2年(1717年)6月には江戸城田安門番を務めた。
享保11年(1726年)10月4日に死去した。享年68。跡を次男の康徳が継いだ。
系譜
父母
正室
- 梅休院 ー 松平近陳の娘
子女