三原 弟平(みはら の おとひら)は、奈良時代から平安時代初期にかけての皇族・貴族。名は乙枚または乙平とも記される。元は弟平王を名乗るが、臣籍降下して(三原朝臣)姓を称した。一品・新田部親王の孫。道祖王または長野王の子。官位は従五位上・(尾張守)。
経歴
新田部親王の曾孫である三原春上の父とされることから[1]、弟平自身は新田部親王の孫であるが、父の名は明らかでない。新田部親王の子の一人である塩焼王の子孫は(氷上真人)姓を称したため、弟平は道祖王または長野王の子と想定される[2]。
桓武朝の延暦10年(791年)三世王としての蔭位により無位から従五位下に直叙され、造酒正に任ぜられる。その後、(三原朝臣)姓を与えられて臣籍降下し、延暦18年(799年)に内蔵助に転じる。
官歴
『六国史』による。