由緒
正和3年(1314年)、小倉山蓮台寺十七坊の一院として創建された[1][2]。蓮台寺の鬼門除けの役割を担い、阿弥陀如来・聖観音・不動明王を安置したことにより、三光院と称したという[1]。領主であった一色氏や佐治氏によって庇護されたが、慶長5年(1600年)、九鬼水軍の侵攻により焼失した[1][2]。2012年(平成24年)には、本堂の老朽化により、親寺である蓮台寺の境内に移転した[1][2]。境内には大野城初代城主である佐治宗貞の墓のほか、四代一成の妻お江が衣を掛けた松や開かずの門などがある[1][2]。
ギャラリー
佐治宗貞の墓
左から佐治宗貞・開基の一色道秀・開山を勅願した花園天皇の位牌
脚注
外部リンク
- 行ってみたいな!! 大野谷文化圏