『一枚起請文』(いちまいきしょうもん)は、建暦2年1月23日(ユリウス暦1212年2月27日)、法然が死の直前に自身で遺言を記し、弟子の勢観房源智に授けたものである。経文には普通、法然上人(又は元祖大師)御遺訓一枚起請文と題されている。
現在は金戒光明寺において原本が見られる。拝観は(御忌)の4月23日・24日に可能である。
全文
唐土 ()我朝 ()[1]にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。
又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。
ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、
うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細 ()候 ()わず。
ただし三心 ()四修 ()と申すことの候 ()うは、皆決定 ()して
南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。
この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候 ()うべし。
念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学 ()すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道 ()の無智のともがらに同じうして、(智者) ()のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。
証の為に(両手印)をもってす。
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義 ()を存ぜず、滅後 ()の邪義 ()をふせがんがために所存をしるし畢 ()んぬ。
建暦二年正月二十三日 大師在御判(原文には「源空(花押)」とある)
脚注
- ^ 日本