概要
航空機が曳航する吹流しに代わる艦艇の空中射撃標的として、滑空標的機(MXY3)に引き続き海軍航空技術廠(空技廠)によって1940年(昭和15年)に開発が開始された。設計主務者は(山本晴之)技師。製造は美津濃グライダー製作所と(東洋金属木工)が担当。予備実験および実用実験を経て1942年(昭和17年)5月に「一式標的機一一型」として制式採用された。
機体は低翼単葉単発の双フロートを持つ水上機で、機体材質は木製、主翼は羽布張り。機体は標的機としては大柄だった。九四式水上偵察機の上部に取り付けられた状態から空中発進し、飛行中はM-1およびM-2無線操縦装置によって遠隔操縦される。命中弾がなかった場合は着水の後に回収されており、着水にはフロートのほか、初期にはパラシュートも用いられた。
制式採用後は連合艦隊の高角砲射撃訓練の際に用いられていたが、太平洋戦争の戦局悪化に伴い使用される機会は減少していった。また、ドイツとの技術交換の際に日本側が本機を提示しており、ドイツ側からも注目されている。
諸元
参考文献
- (野沢正) 『日本航空機総集 愛知・空技廠篇』 (出版協同社)、1959年、194 - 196頁。(全国書誌番号):(53009885)
関連項目
- 完全自動操縦装置 (日本海軍)
- 神龍 (航空機) - 美津野グライダー製作所が製造した特攻グライダー
- ターゲット・ドローン