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ヴィッカース・ドラゴン

ヴィッカース・ドラゴン(Vickers Dragon)は、戦間期イギリスのヴィッカース=アームストロング社で開発された、軍用の装軌式装甲牽引車の一群である。「ドラゴン(Dragon)」の名は、「砲の牽引(drag-gun)」に由来する。

18ポンド砲と弾薬前車を牽引するドラゴン Mk.I
60ポンド砲を牽引する中ドラゴン Mk.IV

開発

第一次世界大戦では前線突破用の新兵器として戦車が開発されたが、戦車が前線を突破した後に、野砲などの火砲が戦車に追い付けないという事態が想定され、ガンキャリアーという、菱形戦車の部品を流用した、自走砲が開発された。ガンキャリアーでは、車体に搭載された砲を降ろして車輪を付けて元の牽引砲として使用することができた。ガンキャリアー自体は、主に補給車として使われ、「自走砲としては」活躍する機会はなかったが、その後も、火砲と砲兵の機械化・自走化は課題として残されていた。

1920年代初頭、ヴィッカース社は、18ポンド野砲の牽引を主目的とした装甲牽引車を開発した。足回りは、当時ヴィッカース社で開発されていたヴィッカース中戦車を元にしたもので、運転席はオープントップ、後部は砲を操作する兵員の座席となっていた。この車輌には、ドラゴン Mk.I(Dragon Mk.I)の名称が与えられた。引き続き、同様の足回りだが各部が改良されたドラゴン Mk.II(Dragon Mk.II)、ドラゴン Mk.II*(Dragon Mk.II*)が製作された。

1924年、アームストロング社はドラゴン Mk.IIの部品を流用して「(軽砲兵運搬車)」を開発した。これは、砲がシャーシに固定された取り外し不可な本格的な自走榴弾砲だった。「QF 13ポンド(76.2 mm) 9 CWT 高射砲」が搭載された。砲の配置から、対空用ではなく、地上目標に直接発砲すると考えられる。砲はシャーシ前部に設置され、その後方のシャーシ中央に弾薬容器があり、その後方のシャーシ後部に48馬力のAECエンジンが搭載されていた。

1927年、ヴィッカース社とアームストロング社は合併して、「ヴィッカース=アームストロング社」となった。

1928年3月、ヴィッカース=アームストロング社は、カーデン=ロイド・トラクター(CLT)社を吸収合併した。

次の車輌も、やはりヴィッカース中戦車系の足回りを持っていたが、60ポンド砲6インチ榴弾砲の牽引用だった。おそらく、後述の軽ドラゴンの開発計画が出てきたため、この形式から、中ドラゴン Mk.III(Medium Dragon Mk.III)と、クラス名称が付け加えられた。遡って、ドラゴン Mk.I/II/II*も、中ドラゴン Mk.I/II/II*(Medium Dragon Mk.I/II/II*)と呼称されるようになった。Mk.IIIは、改良型のMk.IIIB型、Mk.IIIC型も製作された。中ドラゴン Mk.I-IIIは、戦間期の大砲の機械化の開始時に、イギリス陸軍によって購入され、大量に使用された。

1934年に登場した中ドラゴン Mk.IV(Medium Dragon Mk.IV)は足回りが一変し、ヴィッカース 6トン戦車のものとなった。しかし、ヴィッカース 6トン戦車も中ドラゴン Mk.IVも、イギリス陸軍では採用されなかった。一方、ヴィッカース 6トン戦車と中ドラゴン Mk.IVは、外国に輸出され、よく売れた。

 
3.7インチ榴弾砲を牽引する軽ドラゴン Mk.IIC

中ドラゴン系列の一方で、ヴィッカース・カーデン・ロイド軽戦車の足回りを利用し、より小型の軽ドラゴン(Light Dragon)も開発された。軽ドラゴン Mk.I(Light Dragon Mk.I)はリーフ・スプリング式のサスペンションを持っていたが、カーデン・ロイド軽戦車系列の発展に伴い、軽ドラゴン Mk.II(Light Dragon Mk.II)は軽戦車Mk.II~IIIと同型のコイル・スプリング式となっていた。Mk.IIは1934年までにA~Dの形式が作られた。軽ドラゴンは主に、2ポンド対戦車砲4.5インチ榴弾砲、その弾薬車の運搬を主目的としていた。Mk.I、Mk.IIC はベルギーに輸出され、T-13戦車駆逐車のベース車体としても利用された。

1935年、軽ドラゴンとカーデン・ロイド豆戦車Mk.VIマシンガン・キャリア双方の後継として、開発名称「VA D50」(VAはVickers-Armstrongの頭文字)と呼ばれる車輌が製作された。車体の大きさはそれまでの軽ドラゴンとカーデン・ロイド豆戦車の中間で、軽ドラゴン Mk.II で片側4つだった転輪は3つに減らされ、車体高はより低かった。この「VA D50」をもとに軽ドラゴン Mk.III(Light Dragon Mk.III)が製作されたものの、砲牽引には装輪車輌を主とする方針となったため、生産は少数に終わった。しかし、前方に機銃を1丁装備したマシンガン・キャリア型の「VA D50」は、その後のブレン・ガン・キャリア、ユニバーサル・キャリアなどキャリア系列の直接の祖先となった。

参考資料

  • David Fletcher, MECHANISED FORCE, HMSO, London 1991
  • Christopher Foss, Peter McKenzie, THE VICKERS TANKS, Patrick Stephens Ltd., 1988

関連項目

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