ヴァニティ・フェア(Vanity Fare:小説『虚栄の市』や雑誌名との類似から、しばしば誤って Vanity Fair と誤記される)は、1966年に結成されたイギリスのポップ/ロック・グループで、1970年に世界的な大ヒットとなり、百万枚以上を売った「夜明けのヒッチ・ハイク (Hitchin' a Ride)」によって知られている[1]。
ヴァニティ・フェア | |
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1971年のヴァニティ・フェア | |
基本情報 | |
出身地 | イングランド ケント州 |
ジャンル | ポップ・ミュージック |
活動期間 | 1966年 - 現在 |
レーベル | (ページ・ワン・レコード) |
公式サイト | http://www.vanityfare.co.uk |
メンバー | バーニー・ハグリー エディ・ウィーラー マーク・エレン スティーヴ・オークマン |
旧メンバー | トレヴァー・ブライス トニー・グールデン ディック・アリックス トニー・ジャレット バリー・ランデメン ジミー・キャシディ フィル・キットー ブライアン・ジョンソン |
経歴
学校の友人だった、トレヴァー・ブライス (Trevor Brice、1945年2月12日 - :イングランド・ケント州ロチェスター生まれ:ボーカル)、トニー・グールデン (Tony Goulden、出生名アンソニー・グールデン (Anthony Goulden)、1942年11月21日 - :ロチェスター生まれ:ギター)、ディック・アリックス(Dick Allix、出生名リチャード・アリックス (Richard Allix)、1945年5月3日 - :ケント州(グレイブセンド) (Gravesend) 生まれ:ドラム)、トニー・ジャレット(Tony Jarrett、出生名アンソニー・ジャレット (Anthony Jarrett)、1943年9月4日 - :ロチェスター生まれ:ベース)は、1966年にケント州でバンドを組み、ジ・アヴェンジャーズ (The Avengers) と称した。地元のいろいろなナイトクラブに出演している間に、実業家のロジャー・イースタービー (Roger Easterby) に見出され、イースタービーがバンドのマネージャー、音楽プロデューサーとなった。やがて、サッカレーの小説『虚栄の市』からとった「ヴァニティ・フェア」に改名したバンドは、(ベル・レコード) (Bell Records) の一部門であった(ページ・ワン・レコード) (Page One Records) と契約した。もともと1965年にザ・サンレイズが吹き込んだ曲をカバーした最初のシングル「太陽に叫ぼう(I Live For The Sun)」は、1968年の夏にイギリスでヒットした[1]。その後の2枚のシングル「二人だけの朝(Summer Morning)」と「Highway Of Dreams」は全英シングルチャート入りしなかったが、続く「幸福の朝(Early in the Morning)」は、バンドにとってイギリスでの最大のヒットとなった。(マイク・リーンダー) (Mike Leander) とエディ・シーゴ (Eddie Seago) が書いたこの曲は、1969年8月にイギリスで8位まで上昇し、(ゴールドディスク)に認定された[2]。
続く「夜明けのヒッチ・ハイク」からは、キーボード奏者バリー・ランデメン(Barry Landemen、1947年10月25日 - :サフォーク州ウッドブリッジ (Woodbridge) 生まれ)がグループに加わった。(ピーター・キャランダー) (Peter Callander) と(ミッチ・マレイ) (Mitch Murray) が書いた「夜明けのヒッチ・ハイク」は、グループにとって2枚目の、百万枚以上を売り上げたシングルとなり[2]、シカゴのラジオ局 WLSでは1970年5月に、同じくWCFLでは6月に、それぞれ2週間にわたってチャートの首位となり、Billboard Hot 100 では、1970年6月から7月にかけて最高5位、イギリスでは1970年1月に16位まで上昇した。
このヒットに先だって、バンドは合衆国でツアーを行っていたが、このツアーの後、ディック・アリックスとトニー・グールデンはバンドを離れ、代わってピアニスト兼歌手のエディ・ウィーラー (Eddie Wheeler) と、ドラマーのマーク・エレン (Mark Ellen) が加わった。
1970年末までに、さらに2枚のシングルが続き、マイク・リーンダーとエディ・シーゴが書いた「Come Tomorrow」、(ロジャー・クック) (Roger Cook) と(ロジャー・グリーナウェイ) (Roger Greenaway) の「Carolina's Coming Home」が出されたが、合衆国でもイギリスでも、チャート入りは果たせなかった。また、遅れて合衆国でもリリースされた「二人だけの朝」は、チャート入りも2週だけで、最高位は98位であった。
その後も数年間、さらにシングルがリリースされ、その中には(DJMレコード) (DJM Records) から出た、(トニー・マコーレイ) (Tony Macaulay) 作の「Better By Far」なども含まれていたが、いずれもチャート入りはしなかった。この後、バンドはヨーロッパを回るライブ・ツアーに専念することを決め、ツアー先ではヒットする曲も出した。1970年代半ば以降は、ジャレットの脱退とバーニー・ハグリー (Bernie Hagley) への交代など、数々のメンバー交代を経て、グループは散発的にはレコーディングを行なわなくなった。1986年、グループはイギリス代表としてユーロビジョン・ソング・コンテストに出場することを目指し、予選である『A Song for Europe,』のイギリス大会に、古くからのメンバーであるエレンとウィーラー、またベニー・ハグリーに加え、ジミー・キャシディ (Jimmy Cassidy) をボーカル、フィル・キットー (Phil Kitto) をキーボードに据え、「Dreamer」という曲で出場したが、結果は3位に終わった。グループは、2007年には、(P・J・プロビー) (P. J. Proby) とともにツアーをした。
その後もグループは活動を継続しており、メンバー構成はハグリー、ウィーラー、エレンに、スティーヴ・オークマン (Steve Oakman) となっている。
ブライスは、余暇として合唱団 the City of Bath Male Choir にセカンド・テナーとして参加しており、この合唱団はBBC One の『Last Choir Standing』の決勝まで進出した。ブライスの息子であるセバスチャン・ブライス (Sebastian Brice) はアート・ロック・バンド、(エイヴィアス) (Avius) のメンバーとなっている。
脚注
関連項目
- en:List of performances on Top of the Pops
- Hitch hike
- ヒッチハイク
- 上柳昌彦 あさぼらけ
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Vanity Fare at Allmusic