ワロクまたはゲレシュ (Waroch, 仏:Guérech, ブルトン語:Gwereg, 古くは Waroc および誤って Waroc'h とも書かれた.550 年ころ没) は,のちに(ブロ・ワロク) (Bro Waroch, 仏:(ブロエレック) Broërec, Bro-Erec) と名づけられる,アルモリカ南部に位置する王国の君主であった.慣習的に,同じ名をもつ彼の孫と区別するため,ワロク 1 世と呼ぶ.
6 世紀前半のあいだ,ワロクはベネティ (Benetis, ヴァンヌの古名) 地方を,ガリア・フランクの飛び地になる都市の実効的支配を除いて統治した.フランク人によって彼に与えられた称号は伯 (comte) であって王ではなかったようである.
ワロクと聖ギルダス
聖ギルダスの伝説によると,ある日,伯領の沖合に住む隠者が,ワロクに会いにヴァンヌの街に来た.それは祈りに専心するため海岸に近い猫の額ほどの土地を求めてのことであった.ワロクは「公正にして神を畏れ,また神のしもべたちをも,彼らが彼らの約束に忠実であるとき,すなわち彼らが敬虔にして謙虚で執着がなく,不幸な者たちを慰め小さき者たちを守ることを示すとき〔……〕これを敬う」者であったから,この隠者に城館と田園とを与えた.ギルダスはこうして(リュイ半島)に大修道院を創設した.
聖トレフィーヌの伝説
ワロクの子どもたちのなかには(トレフィーヌ) (Tréphine) という名の非常に美しい娘がいた.トレフィーヌは彼女の指導司祭 (père spirituel) であるギルダスを全面的に信頼していた.
子孫
ワロクには名の知られていない配偶者とのあいだに複数の子がいた:
- カナオ 1 世 - ワロクの死後継承;
- マクリオー - ヴァンヌ司教,カナオの死後継承;
- (聖トレフィーヌ) (トリフィヌ) - ポエール伯(コモール)の妻;
- その他,兄カナオによって殺された 3 人の息子.