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ロン・カーター

ロン・カーター(Ron Carter, 1937年5月4日 - )は、アメリカ合衆国の黒人ジャズベース奏者、作曲家、元ニューヨーク市立大学シティカレッジ教授。身長は193cm(6フィート3インチ)。

ロン・カーター
Ron Carter
ヨーロピアン・ジャズ・エキスポ(2007年)で演奏するロン・カーター
基本情報
出生名 Ronald Levin Carter
生誕 (1937-05-04) 1937年5月4日(86歳)
出身地 アメリカ合衆国ミシガン州
職業 ミュージシャン教育者
担当楽器 コントラバスチェロ、ピッコロ・ベース、エレクトリックベース
活動期間 1960年 -
レーベル ブルーノート
CTI
エンブリヨ
プレスティッジ
マイルストーン
サニーサイド
ロン・カーター(2008年)

バイオグラフィ

1937年アメリカミシガン州生まれ。1959年イーストマン音楽学校卒。1961年マンハッタン音楽学校修士課程修了。2004年バークリー音楽大学より名誉博士号を授与される。ニューヨーク市マンハッタンハーレムにあるニューヨーク市立大学シティカレッジ音楽学部にて、20年以上教壇に立つ。

バッハなどに傾倒し、初めチェロを習い、のちにコントラバスに転向。クラシックのコントラバス奏者を目指して1日8時間に及ぶ猛練習をするも、人種差別の壁もあってオーケストラへの入団は出来なかった[1]。一方でジャズベーシストとしての活動を開始し、1959年チコ・ハミルトンのグループでプロデビュー。また、ポール・チェンバースレイ・ブラウン、サム・ジョーンズなどの名ベーシストとの交流の中で自己を確立し、キャノンボール・アダレイボビー・ティモンズなどのグループに参加。その柔軟で奔放なプレースタイルが、モード・ジャズの表現を模索していたマイルス・デイヴィスの目にとまり、ポール・チェンバースに代わるベーシストとして抜擢される。他のメンバーが繰り出すモード・イディオムラインに対し、クロマティック的音選びで絶妙な相性を見せたカーターは、1960年代のマイルス・ミュージックの屋台骨を支える重要な役割を果たす。

ジャズ界の趨勢がモード・ジャズからフュージョンに移行しつつあった1960年代終盤、マイルスのグループを離れ[2]、以降、主に著名ミュージシャンのセッションのサイドマンとして無数のレコーディングに参加。70年代には、76年からのハービー・ハンコック、フレディ・ハバード、トニー・ウィリアムズらによるV.S.O.P.クインテットや、ハンク・ジョーンズによるグレート・ジャズ・トリオなどのバンドにも名を連ねている。VSOPクインテットは日本のFMラジオでも、たびたびオンエアされた。

一方で、ピッコロ・ベースという新楽器を開発[3]し、ソロ楽器としてのベースの可能性を追求した。ピッコロ・ベースはコントラバスより小さくチェロより大きい楽器で、コントラバスの4本の弦のうちE弦(最低音の弦)を廃して、最高音であるG弦の上にさらに4度上のC弦を配したもの[4]であり、チェロ同様に椅子に座って演奏する[5]

以降、ベース、ピッコロ・ベースを持ち替えて多くのセッションをこなす。ピッコロ・ベースにおいては自己の9人編成コンボであるロン・カーター・ノネットの結成、そしてベースでもグレート・ジャズ・トリオをはじめとするレギュラーグループや、トミー・フラナガンローランド・ハナシダー・ウォルトンゴンサロ・ルバルカバハンク・ジョーンズジム・ホールハービー・ハンコックヒューバート・ロウズといった名手と競演を重ねる。また、アントニオ・カルロス・ジョビンのセッションにも参加したことから、ボサノヴァ音楽への傾倒と理解も厚い。

ロン・カーターのベースは、個性的な音色と音の運びに特徴がある。ややチューニングの不安定さがあるが、ロンの技巧ぶりがそれをカバーしている。音色については、時には彼だと判別可能な場合もあるが、これは、ラベラ社製のブラックナイロン弦[6]とバーカス・ベリー社 のピックアップを使っている時代に印象づけられたものである。

マイルス・コンボ参加前の1960年代初期には、ジャキ・バイアードのバックを勤めていた。

日本でも人気のあるジャズ・ベーシストであり、来日回数も極めて多い。日本人ジャズメンとの競演も多く[7]、また、アメリカ人のみによるセッションでも日本のレコード会社の企画で製作されることも多い。こういった、日本人による彼の芸術への理解度の高さもあってか、本人も親日家である。

2021年秋の叙勲にて、音楽文化発展の功により日本国政府より旭日小綬章が授けられることが決定した[8]

テレビ出演

関連項目

脚注

  1. ^ http://www.musicianguide.com/biographies/.../Ron-Carter.html
  2. ^ マイルスからエレクトリックベースを弾くことを要求されたからと言われているが、実際は家族と離れている時間が長くなり疲れを感じたことから自ら脱退を申し出たと本人は語っている。実際、ロンがエレクトリックベースを演奏している音源や映像も存在する。
  3. ^ 最初のピッコロ・ベースはロンの注文により製作された新作楽器であったが、のちに小ぶりなフランス製のオールド楽器(コントラバス)を入手し、それ以降はそれをピッコロ・ベースとして使用している。
  4. ^ クラシックで言うところの、ハイソロ・チューニング。
  5. ^ これはロンがチェロを演奏した経験を持つ事と無関係ではないであろう。ロンは弓弾きの際も、コントラバス独特のジャーマン式ではなく、チェロと同様のフレンチ式で演奏する。フレンチ式では弓を順手で持つが、ジャーマン式では弓を逆手で持つのが大きな違い。
  6. ^ ラベラ社のブラックナイロン弦はロン・カーター自身開発にも関わっており、現在も使用している。
  7. ^ 阿川泰子のアルバムへの参加や、青梅市の宗建寺本堂で山口武、ルイス・ナッシュとのライヴ、新潟市りゅーとぴあ史佳Fumiyoshiとのライヴなど。
  8. ^ "秋の叙勲受章者". デジタル毎日. 毎日新聞社. 3 November 2021. 2021年11月3日閲覧

外部リンク

  • [1] - 公式サイト
  • La Bella Strings (E. & O. Mari)(英語) - ラベラ弦公式サイト
  • (Ron Carter)の作品 - MusicBrainz(英語)
  • Ron Carter - Discogs
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