この(存命人物の記事)には(検証可能)な(出典)が不足しています。(2018年7月) |
レツィエ3世(Letsie III、1963年7月17日 - )は、レソトの国王(第2・4代)。本名はデイヴィッド・モハト・レツィエ・ベレン・セーイソ(David Mohato Letsie Bereng Seeiso)。
レツィエ3世 Letsie III | |
---|---|
レソト国王 | |
| |
在位 | 第2代:1990年12月12日 - 1995年1月25日 第4代:1996年2月7日 - 在位中 |
戴冠式 | 1997年10月31日 |
全名 | デイヴィッド・モハト・レツィエ・ベレン・セーイソ David Mohato Letsie Bereng Seeiso |
出生 | 1963年7月17日(59歳) イギリス保護領バストランド、モリジャ |
王太子 | レロソリ・セーイソ王子 |
配偶者 | マセナテ・モハト・セーイソ王妃 |
子女 | セナテ・セーイソ王女 マセーイソ・セーイソ王女 レロソリ・セーイソ王子 |
家名 | (セーイソ家) |
父親 | モショエショエ2世 |
母親 | マモハト |
宗教 | ローマ・カトリック |
経歴
1966年、レソト王国の成立。父のモショエショエ2世が国王に即位したことに伴い王太子となる
1990年、ジャスティン・レハンヤ率いる軍事政権がモショエショエ2世を追放、第2代国王に即位する。
1994年8月、首相のヌツ・モヘレとの対立から憲法を停止し、議会・内閣の解散を一方的に宣言する(レソト危機)。しかし、翌9月にはゼネラル・ストライキや抗議デモが発生し親政統治が困難になり、退位を余儀なくされる。
1995年1月、南アフリカを中心とした各国の調整によりモショエショエ2世が王位に復位、再び王太子へ。しかし翌年モショエショエ2世が交通事故で崩御したことに伴い第4代国王として復位。
外遊
2016年11月下旬、王妃(マセナテ・モハト・セイーソ)と共にレソト国王としては27年ぶりに、レツィエ3世個人としては初めて訪日[1]。首都圏と関西に加えて、東日本大震災で被災した福島県相馬市に行幸し、相馬市役所で行われた内堀雅雄県知事や立谷秀清市長との会談で「今後も東日本大震災の被災者に気持ちを寄り添っていく」と述べた上で、「震災で県民や市民は大変な思いをしたが、復興に向け前に進んでいる。失われた命は戻らないが、復興に寄せる努力は犠牲者の鎮魂になり、今後の力になる」と復興に向かう福島県民を温かく激励した。また、国王王妃は相馬市滞在中に(伝承鎮魂祈念館)での慰霊碑への献花や(松川浦環境公園)での植樹なども行っている[2]。