ルキウス・プラウティウス・ウェンノ(ラテン語: Lucius Plautius Venno、生没年不詳)は紀元前4世紀の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前318年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
プレブス(平民)である(プラウティウス氏族)の出身。父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウスである。紀元前330年の執政官ルキウス・プラウティウス・ウェンノは父と思われる。
経歴
紀元前322年、ウェンノは法務官(プラエトル)に就任している[1]。紀元前318年には執政官に就任。同僚執政官はマルクス・フォスリウス・フラッキナトルであった[2]。この年、両執政官はアプリアのテアノ(現在のテアーノ)とカヌシオ(現在のカノーザ・ディ・プーリア)の領土で略奪を行い、両都市を降伏させることに成功している[2]。
脚注
- ^ Der Neue Pauly, Stuttgardiae 1999, T. 9, c. 1115
- ^ a b ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』、 IX, 20.
参考資料
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
- T. Robert S., Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic . Volume I, 509 BC - 100 BC (in English). I, number XV. New York: The American Philological Association. 5 page
関連項目
- 共和政ローマ執政官一覧
- (プラウティウス氏族)