ルキウス・アウレリウス・コッタ(ラテン語: Lucius Aurelius Cotta、生没年不詳)は、紀元前2世紀後期の共和政ローマの政治家。紀元前119年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
コッタはプレブス(平民)であるアウレリウス氏族である。氏族最初の執政官はガイウス・アウレリウス・コッタで、紀元前252年のことであった[1]。いわゆるノビレス(新貴族)の氏族でありが、紀元前1世紀中頃には(セルウィルス氏族)や(カエキリア氏族)と並ぶ有力プレブス氏族となっていた[2]。
父は紀元前144年の執政官ルキウス・アウレリウス・コッタと思われる。
経歴
コッタ自身の記録は少ない。紀元前119年に執政官に就任していることから、遅くとも紀元前122年にはプラエトル(法務官)を務めたはずである[3]。
紀元前119年の同僚執政官は、同じくプレブスのルキウス・カエキリウス・メテッルス・ダルマティクスであった。同年、ガイウス・マリウスが護民官に就任し、トリブス民会での投票手続きを制限する法律を提唱した。この法律は富裕階級の投票権を制限するもので、元老院門閥派の影響を影響力を低下させる。コッタはこれに反対し、元老院を説得しようとした。しかしマリウスは元老院に対して、この法案は民会で可決された正当なものであり、コッタが同意しないならば投獄されると脅した。コッタは同僚のメテッルスに意見を求めたが、メテッルスはコッタを支持したため、マリウスによって投獄された。このため、元老院も考えを改めた[4][5]。
子孫
コッタにはアウレリアという娘がおり、大カエサルに嫁いだ。その息子がガイウス・ユリウス・カエサル、娘ユリアの孫が初代皇帝アウグストゥスである。
脚注
参考資料
古代の資料
- プルタルコス『対比列伝』
- マルクス・トゥッリウス・キケロ『法律について』
研究書
- Bedian E. Tsepion and Norban (notes on the decade of 100-90 BC) // Studia Historica. - 2010. - number X . - S. 162-207 .
- Broughton TRS The Magistrates of the Roman Republic . - Vol. I. - New York: American Philological Association, 1951.