ルイ3世・ド・ラ・トレモイユ(Louis III de La Trémoille, vicomte puis duc de Thouars, 1521年 - 1577年3月25日)は、ヴァロワ朝時代フランスの貴族。トゥアール子爵(のち公爵)。
トゥアール子爵フランソワ・ド・ラ・トレモイユと妻アンヌ・ド・ラヴァルの間の長子。1541年父が死ぬと第37代トゥアール子爵となる。他にタルモン公、ターラント公、タイユブール、(ブノン)伯、(シュリー)、(クラン)、(マラン)及び(ノワールムティエ)の男爵であり、1550年までは(ジャンセ)の領主も兼ねた。
アンリ2世王の王太子時代からの側近で、王太子が1542年に王宮を出て南仏ペルピニャンへ航行した際に同行し、さらに王太子がランスで聖別式を行った際に聖油の入った(聖アンプル)容器を捧げ持つ4人の領主の1人となった。そして同年、王太子とイングランドの間で結ばれた講和条約において、英国側に引き渡された人質の1人ともなった。イタリア戦争では(コッセ=ブリサック)元帥の麾下で従軍した。1560年、ポワトゥー及び(サントンジュ)の州知事を務めた。1563年、トゥアール子爵から公爵に昇叙された。
ユグノー戦争が始まると政府(カトリック)側で従軍し、1567年ロワール渓谷一帯の守備責任者となった。1577年、アンジュ―公麾下でメル包囲戦に参加し、同市の陥落時に戦死した。
1549年、元帥アンヌ・ド・モンモランシー公爵の次女ジャンヌ・ド・モンモランシー(1528年 - 1596年[1])と結婚、間に4子をもうけた。
引用・脚注
- ^ a b Bardet et al. 2000, p. 48.
参考文献
- Bardet, Jean-Pierre; Dinet, Dominique; Poussou, Jean-Pierre et al., eds (2000) (French). Etat et société en France aux XVIIe et XVIIIe siècles. Presses de l'Universitie de Paris-Sorbonne