“ビッグ・アイ”・ルイス・ネルソン・ドリール("Big Eye" Louis Nelson Delisle、1885年1月28日 - 1949年8月20日)は、初期のディキシーランド・ジャズのクラリネット奏者である。ドリールはコントラバス、バンジョー、アコーディオンも、折に触れ仕事として演奏した。
ルイス・ネルソン・ドリール | |
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ネルソン・ドリール(1910年) | |
基本情報 | |
出生名 | ルイス・ネルソン・ドリール |
別名 | “ビッグ・アイ” |
生誕 | 1885年1月28日 アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ |
出身地 | アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ |
死没 | 1885年1月28日(-65歳没) |
ジャンル | ディキシーランド・ジャズ |
担当楽器 | クラリネット |
活動期間 | 1910年代 - 1940年代 |
共同作業者 | (オルジナル・クレオール・オーケストラ) (フレディ・ケパード) ビル・ジョンソン |
著名使用楽器 | |
コントラバス バンジョー アコーディオン |
ネルソン・ドリールはルイジアナ州ニューオーリンズで生まれ、人生のほとんどをそこで過ごした。
ドリールはクラリネットをロレンツォ・ティオ Sr. に習い、15歳までストーリーヴィルの音楽会場で仕事として演奏していた。ドリールは、ジャズの最古の時期にホット・ジャズの初期のスタイルを開拓し、ジョニー・ドッズ、ジミー・ヌーンといった後のニューオーリンズ・ジャズのクラリネット奏者たちに重要な影響を与えた。
ドリールの初期の仕事で、“ビッグ・アイ”は、より一般的な Bb 管[1]ではなく、しばしば C 管のクラリネットを演奏していた。C 管のクラリネットは、(アルサイド・ヌニェス) en:Alcide Nunez といった、この時代の他のニューオーリンズ・ジャズのクラリネット奏者たちにも使用されていた。
1917年に、ドリールは、(フレディ・ケパード)や(ビル・ジョンソン) Bill Johnson がいる、再結成された(オルジナル・クレオール・オーケストラ) en:Original Creole Orchestra に加わった。このバンドはその年の春にボストンで解散したが、その年の秋にはニューヨーク州で再びメンバーが集められた。ビッグ・アイはクラリネット奏者ジョージ・バケーの後任となった。バケーは以前、ヴォードヴィルのグループと共に巡業をしていた人物である。少ししてから、ビッグ・アイの後をジミー・ヌーンが引き継いだ。[2]ドリールはの常任のクラリネット奏者となったが、ホット・エイトの1929年の録音活動では演奏しなかった。
ドリールが複数の録音をしたのは晩年の1940年代だけだったが、その頃には健康が優れないこともしばしばで、当時の評価からすれば、一流の演奏をしていた時期を過ぎてしまったとされていたが、しかし、それでもなお美しいフレーズを演奏する能力はあったのだ。その録音は (American Music Records) en:American Music Records の CD によって聴くことができる。ネルソン・ドリールの演奏は、年上のニューオーリンズのクラリネット奏者、(アルフォンス・ピクー) Alphonse Picou の、よりスタッカートでラグタイム風な演奏に比べて、より魅惑的で流れるようなブルースである。
脚注
- ^ 移調楽器を参照。
- ^ Hazeldine, Mike. Original Creole Band. in Kernfeld, Barry. ed. The New Grove Dictionary of Jazz, 2nd Edition, Vol. 3. London: MacMillan, 2002. p. 200.