リジェ・JS25は、リジェチームが1985年シーズンのF1参戦に用いたフォーミュラ1カーである。デザイナーは(ミッシェル・ポイジョン)と(クロード・ギャロパン)。
カテゴリー | F1 |
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コンストラクター | リジェ |
デザイナー | (ミッシェル・ポイジョン) (クロード・ギャロパン) |
先代 | リジェ・JS23 |
後継 | リジェ・JS27 |
主要諸元[1] | |
シャシー | カーボンファイバー ケブラー モノコック |
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド |
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド |
トレッド | 前:1,790 mm (70 in) 後:1,662 mm (65.4 in) |
ホイールベース | 2,835 mm (111.6 in) |
エンジン | ルノー・ゴルディーニ EF4B, 1,492 cc (91.0 cu in), 90度 V6, ターボ, ミッドエンジン, 縦置き |
トランスミッション | ヒューランド 5速 MT |
重量 | 540 kg (1,190 lb) |
燃料 | (アンタル) |
タイヤ | ピレリ |
主要成績 | |
チーム | エキップ・リジェ ジタン |
ドライバー | 25. アンドレア・デ・チェザリス 25. フィリップ・ストレイフ 26. ジャック・ラフィット |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
初戦 | 1985年ブラジルグランプリ |
前年のJS23同様、ルノーのV6ターボエンジンを搭載、タイヤはミシュランに代わってピレリを装着した。ドライバーはベテランのジャック・ラフィットとアンドレア・デ・チェザリスのラインナップであったが、チェザリスはクラッシュによるリタイアが連続し、チームは彼に代えてフィリップ・ストレイフを起用した。
チームのシーズン総獲得ポイントは23、コンストラクターズランキングは6位となった。ラフィットは3位に2度入賞、最終戦オーストラリアでは2位に入賞した。チームメイトのストレイフも最終戦で3位に入賞する。ストレイフは2位のラフィットを激しく追い上げ、終盤の81ラップ目で接触、左前ホイールが外れかかったものの、両者ともどうにかゴールすることができた。
JS25のおそらく最も壮観な瞬間はオーストリアであった。チェザリスが14ラップ目に高速度で転回し車は大破した。オーナーのギ・リジェはこれ以上チェザリスのクラッシュに修理費用を出すことはできないとし、彼の放出を決心した。チェザリスはオランダGP後にストレイフと交代した。
F1における全成績
((key)) (太字はポールポジション)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1985年 | エキップ・リジェ ジタン | ルノー・ゴルディーニ EF4B V6 t/c | P | BRA | POR | SMR | MON | CAN | DET | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | BEL | EUR | RSA | AUS | 23 | 6位 | |
アンドレア・デ・チェザリス | Ret | Ret | Ret | 4 | 14 | 10 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | |||||||||||
フィリップ・ストレイフ | 10 | 9 | 8 | 3 | ||||||||||||||||||
ジャック・ラフィット | 6 | Ret | Ret | 6 | 8 | 12 | Ret | 3 | 3 | Ret | Ret | Ret | 11 | Ret | 2 |
- エキップ・リジェは南アフリカのアパルトヘイトを容認しないという国際的圧力の高まりに従い、南アフリカグランプリをボイコットした。
参照
外部リンク
- Ligier JS25 at Chicane F1
- Video of Andrea de Cesaris's crash at the Austrian Grand Prix.