ラルー・マーティン(LaRue Martin, 1950年3月30日 - )は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長211cm、体重94kg。ポジションはセンター。
引退 | |
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ポジション | C |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1950年3月30日(73歳) |
出身地 | イリノイ州シカゴ |
身長(現役時) | 211cm (6 ft 11 in) |
体重(現役時) | 94kg (207 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ロヨラ大学 |
ドラフト | (1972年) 1位 |
選手経歴 | |
1972-1976 | ポートランド・トレイルブレイザーズ |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
Stats NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten |
NBA史上最悪のドラフト1位指名選手の1人に数えられている[1]。
経歴
シカゴ出身。地元ロヨラ大学に進学し、3年間で平均18.2得点15.9リバウンドを記録した。通算1,062リバウンドは学校史上1位である。1972年には当時5連覇中だったUCLAと対戦し、ビル・ウォルトン相手に19得点18リバウンドをあげて注目された。背番号『20』は大学の永久欠番に指定されている。
1972年のNBAドラフトにおいて、ボブ・マカドゥーやジュリアス・アービングら後の殿堂入り選手を抑えて全体1位でポートランド・トレイルブレイザーズに入団した。しかし4シーズンで271試合に出場して通算1,430得点1,258リバウンド(平均5.3得点4.6リバウンド)と全く期待に応えることができず、同期入団で3巡目指名だったロイド・ニールに先発の座を奪われる有様だった。1976年にブレイザーズを放出された後はいくつかの球団と契約したが1試合もプレーすることなく、1978年にNBAを去った。
引退後は母校ロヨラ大学で社会学の学士号を取得し、ビジネスマンとして成功を収めた。また社会奉仕活動を評価され、数々の表彰を受けている。
個人成績
レギュラーシーズン
脚注
- ^ “史上最低のドラ1チーム”を識者が選定。ベネット、クワミ・ブラウンら“ある意味有名な選手”が勢揃い<DUNKSHOOT>
外部リンク
- Basketball-Reference.com