ムーズ県 (ムーズけん、Meuse) は、フランスのグラン・テスト地域圏の県である。県名は県内を流れる川の名(ムーズ川)に由来する。
歴史
ムーズ県は、フランス革命の1790年3月4日に83の県の1つとして、1789年12月22日制定の法律に基づいて設置され、共和国発足時の領土としてはロレーヌ地域圏のもっとも西側に位置していた。
この県は、設置以来、県内の各境界がほとんど変動しなかった。1997年に(アン=ドヴァン=ピエールポン)(Han-devant-Pierrepont)という小さなコミューンが、ムルト・エ・モーゼル(Meurthe-et-Moselle)へと異動した例はある。 ムーズ県、とりわけ1916年のヴェルダンは、第一次世界大戦の主要な戦闘現場であった。(ヴェルダンの戦い)
地勢
県境は、アルデンヌ県、マルヌ県、オート=マルヌ県、ヴォージュ県、ムルト=エ=モゼル県、さらに、ベルギー王国にも接している。
気候
ムーズ県の気候は海洋性気候と大陸性気候の両方の影響を同時に受ける為に、平均的とされる時期を横切るように気候が変動し、暑期や雨季の間を繰り返している。
降水量は、東部地域では、多い時は900mm前後を上下することもあるが、850mmを切ることもある。中部地域のバロワでは1000mmを超える。
人口統計
1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2011年 | 2011年 |
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210 000 | 203 904 | 200 101 | 196 000 | 192 443 | 192 499 | 193 557 |
Sources : INSEE[1] - Quid 2003[2] - INSEE recensement 1999[3]
主なコミューン
観光・文化
観光には2つの側面がある。グリーン・ツーリズム(アルゴンヌの森、ウォエヴルの湖沼郡)と、一方で第一次世界大戦の史跡(ヴェルダン、ドゥオモン)である。
ヴォーデモン伯の居城コメルシ城
バル=ル=デュック
ヴォークオワにたつ第一次大戦の慰霊塔
モンメディ
出身者
ゆかりのある人物
- ジャンヌ・ダルク - ニシンの戦いの敗北を予言し、ヴォクルールからシノンの王太子の下に向かうことになった。ジャンヌ・ダルク自身は、隣県にある現在のヴォージュ県ドンレミ=ラ=ピュセル出身。
脚注
- ^ INSEE - Estimation de population au 1er janvier, par département, sexe et grande classe d'âge (Microsoft Excelの.xls)
- ^ Quid 2003 : pages 821 et 870 à 873
- ^ INSEE recensement 1999 - département de la Meuse
外部リンク
- Prefecture website (in French)