マールターンド・ラーオ・ホールカル(Marthand Rao Holkar, 1830年 - 1849年6月2日)は、インド、ホールカル家の当主、インドール藩王国の君主(在位:1833年 - 1834年)。
生涯
1830年、マールターンド・ラーオはホールカル家一族の(バープー・サーヒブ・ホールカル)の長男として生まれた[1]。
1833年10月、ホールカル家の当主マルハール・ラーオ・ホールカル2世が死亡し、その妃(ガウタマ・バーイー・ホールカル)の養子となり、新当主および藩王となった[1]。
しかし、この養子縁組は人々には受け入れられなかった。というのは、ガウタマ・バーイーや故ヤシュワント・ラーオ・ホールカルの妃(クリシュナ・バーイー・ホールカル)に権力に集中することを恐れたからだった[1]。
こうして、人々はマヘーシュワルに幽閉中だったハリ・ラーオ・ホールカルを擁立し、ガウタマ・バーイーらはこれを認めざるを得ず、1834年2月2日にマールターンド・ラーオは廃位された[1]。