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マルセル・カルネ (Marcel Carné, 1906年8月18日[1] - 1996年10月31日[1]) は、フランスの映画監督、脚本家。詩人でもあった脚本家のジャック・プレヴェールとの共同作品で有名である。
来歴
1906年8月18日、パリで生まれる[1]。同地の職業技術学校の写真映画科を卒業後、撮影助手として映画界に入る。仕事ぶりが評価され、女優のフランソワーズ・ロゼーの紹介でロゼーの夫で映画監督のジャック・フェデーと知り合い、1928年から助監督として働くようになる[1]。
1930年「Nogent, Eldorado du dimanche」で監督デビュー[1]。1936年にロゼー主演の初長編作品『(ジェニイの家)』を撮影[1]。1938年には『(霧の波止場)』がヴェネツィア国際映画祭金獅子賞[1]とルイ・デリュック賞を受賞。デビューから2年でフランスを代表する巨匠としての名声を得る。
第2次世界大戦中はナチスにフランスが占領され、フェデー、ルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワールといったほとんどの映画人がアメリカに亡命する中、脚本家のジャック・プレヴェールと組んで国内に残留。1942年に『(悪魔が夜来る)』を発表し、フランス映画グランプリ受賞[1]。政治的にも経済的にも映画制作が困難な状況の下、反ファシズムの姿勢を貫いた。
1943年、代表作となる『天井桟敷の人々』を発表し、大セザール賞を受賞[1]。その後もエミール・ゾラ原作の『嘆きのテレーズ』(1953年)などを発表した[1]。
しかし、1950年代後半から台頭したヌーヴェルヴァーグの時代に入ると低迷し、青年たちの非行問題を取り上げた『危険な曲がり角』(1958年)でフランス・シネマ大賞を受賞したのみだった[1]。
1971年と1982年にヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞を[1]、1978年にセザール賞名誉賞を、1989年に高松宮殿下記念世界文化賞を[1]、1995年にはヨーロッパ映画賞生涯功労賞をそれぞれ受賞した。
監督作品
- (ジェニイの家) Jenny (1936年)
- Drôle de drame ou L'étrange aventure du Docteur Molyneux (1937年)
- (霧の波止場) Le quai des brumes (1938年)
- (北ホテル) Hôtel du Nord (1938年)
- 陽は昇る Le jour se lève (1939年)
- (悪魔が夜来る) Les visiteurs du soir (1942年)
- 天井桟敷の人々 Les enfants du paradis (1945年)
- (枯葉 ~夜の門~) Les portes de la nuit (1946年)
- La fleur de l'âge (1947年)
- (港のマリィ) La Marie du port (1950年)
- (愛人ジュリエット) Juliette ou La clef des songes (1951年)
- 嘆きのテレーズ Thérèse Raquin (1953年)
- (われら巴里ッ子) L'air de Paris (1954年)
- 遥かなる国から来た男 Le pays d'où je viens (1956年)
- (危険な曲り角) Les tricheurs (1958年)
- (広場(ひろっぱ)) Terrain vague (1960年)
- Du mouron pour les petits oiseaux (1963年)
- (マンハッタンの哀愁) Trois chambres à Manhattan (1965年)
- (若い狼たち) Les jeunes loups (1968年)
- Les assassins de l'ordre (1971年)
- La merveilleuse visite (1974年)
- La Bible (1977年) ドキュメンタリー