マルゲリータ・マリーア・ファルネーゼ(Margherita Maria Farnese, 1664年11月24日 – 1718年6月17日)は、パルマ公国の公女。
生涯
パルマ・ピアチェンツァ公ラヌッチョ2世・ファルネーゼとその2人目の妻イザベッラ・デステとの娘。
母は弟オドアルドを産んだ際に死去し、わずか2年で遺児となった。ラヌッチョは、マルゲリータの母方の叔母マリーア・デステと再婚し、2人の息子をもうけた。
1692年7月14日パルマにて、モデナ・レッジョ公でアルフォンソ4世・デステの息子フランチェスコ2世・デステと結婚した[1]。結婚の際、宮廷音楽人(フランチェスコ・アントニオ・ピストッキ)は、公が好んだジャンルのオラトリオ『聖アドリアーノの殉教』を作曲した[2]。
モデナ・レッジョ公妃であったは2年だけで、フランチェスコ2世は痛風と多発性関節炎を患い、1694年に亡くなった。子供に恵まれなかったため、フランチェスコ2世の叔父リナルドが公位を継承した。
マルゲリータは1718年の夏に、母を亡くしたのと同じコロルノで死去[3]、そこは1660年に彼女の父により拡張と美化された要塞[4]とファルネーゼ家の夏の別荘[5]があった。
備考
関連項目
- フランチェスコ2世・デステ
- (ラヌッチョ2世・デステ)
- パルマ公国