マルケルス2世(Marcellus II, 1501年5月6日 - 1555年5月1日)は、対抗宗教改革期のローマ教皇(在位:1555年4月9日 - 5月1日)。本名はマルチェッロ・チェルヴィーニ(Marcello Cervini)。本名をそのまま教皇名とした最後の教皇である。
マルケルス2世 | |
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第222代 ローマ教皇 | |
教皇就任 | 1555年4月9日 |
教皇離任 | 1555年5月1日 |
先代 | ユリウス3世 |
次代 | パウルス4世 |
個人情報 | |
出生 | 1501年5月6日 教皇領 モンテファーノ |
死去 | 1555年5月1日(53歳没) 教皇領 ローマ |
その他のマルケルス |
モンテファーノ生まれ。シエナ大学、ローマ・ラ・サピエンツァ大学で学び学者になり、1539年に教皇パウルス3世により枢機卿にされる。翌1540年にレッジョ・エミリア司教、1544年にはグッビオ司教に任命、翌1545年に開会されたトリエント公会議の共同議長にも任命された(他にジャン・マリア・デルモンテ(後のユリウス3世)、レジナルド・ポール)。1548年にはバチカン図書館館長に就任した[1][2][3]。
1555年4月9日に対抗宗教改革への期待を背負い、教皇ユリウス3世の後継者として教皇に選ばれた。しかし、すでにコンクラーヴェの疲れで体調を崩しており、教皇着座式で健康状態がさらに悪化。選出から僅か21日目にして急逝した。作曲家ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナの「教皇マルチェルスのミサ曲」は、伝統的にこの教皇のために作られたものとされてきた[1][2][3]。