マルカム2世(スコットランド・ゲール語:Máel Coluim mac Cináeda、英語:Malcolm II of Scotland、954年頃 - 1034年11月25日)は、アルピン朝最後のスコットランド王(在位 : 1005年 - 1034年)。(ケネス2世)の長男。他の王位継承権保持者を倒して王位についたことから、「破壊王(スコットランド・ゲール語:Forranach)」の名で呼ばれた[1]。
生涯
マルカム2世は、残忍な性格であったと伝えられる[2]。1005年、軍を起こして(ケネス3世)を破り、彼を殺害し、王位を奪った。
1018年にカラムの戦い(en)においてアングル人のロージアン王国軍を破り、これを併合した[1]。同じ年、ブリトン人の(ストラスクライド王国)の王位を孫のダンカン(後のダンカン1世)に継承させた[2]。
また、スコットランド独特のタニストリーと呼ばれる王位継承システムを長子相続のシステムに変えた[3]。しかし、マルカム2世自身には男子継承者がいなかったため、実際に効果を発揮するのは、孫のダンカン1世の長男マルカム3世以降になる。
子女
マルカム2世には娘2人しかおらず、王位は娘たちの息子らが継承した。
脚注
参考文献
- 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
- ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年